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鳴戸部屋見学会

恒例の、当院主催・鳴戸部屋見学会 下記日程で行います。 患者様でしたらお申し込み頂けますので、 ご希望の方は(患者様限定)連絡を下さい。 令和二年二月十一日(祝日) 八時から。 稽古を見学したあと、部屋で 鳴戸部屋特製のちゃんこ を頂き、昼前に解散となります。 ご祝儀として大人一人あたり一万円 小学生は千円、中高生三千円 を、集めさせて頂きます。 場所は墨田区の鳴戸部屋です。 興味のあるお客様方は連絡下さい。

鳴戸部屋餅つき

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毎年、締めで行われる 鳴戸部屋餅つき大会 に行ってきました。 力士が撞くとあっという間に仕上がります。 やはりつきたてのお餅は美味しいですね! 部屋も新しく、広くなり快適です。 元林の快進撃により、来年は関取が誕生しそうな鳴戸部屋。 当院は昔から応援していますが、来年2月に朝稽古見学&ちゃんこの会を行います。 ご希望の患者さんは連絡して下さい。

殆んど知られていない内臓からくる坐骨神経痛

★座骨神経痛の症例★ 臀部から足先への痺れと痛みが半年。 医師の見立ては レントゲン、CTでは腰椎3、4の間にやや潰れが見られるものの、それほどでもない。 しかし、障害はここしかないので、恐らくここが震源地であろう。 手術するほどでもないので、鎮痛剤、湿布、電気マッサージを行い経過観察。 しかし、どうしようもなく痛いので、鍼、整体に行くがそれでもダメなので紹介により来院。 この場合、一般的な整体では取れない腰椎の歪みや、仙骨の歪みで発症している場合も多く、そこへの施術でも歩かで手をつけられなかった患者を多数改善に導いているが、今回はそこら辺は特に悪くない。 最大の要因は、鼠径靭帯の硬化と、膀胱の硬化。これが凄かった。 この二つを60分くらいかけてゆっくりと軟化させていく。 手を当てているだけの施術だが、患部への刺激は多いので、患者は「手を当てられているだけなのに、電気が流れている!」と驚いていたがそのうち寝てしまう。 これでほぼ改善。帰宅後3日で更に改善が進んだということで、現在は三回やって更なる改善と再発防止のため、悪かった膝、足首などへの施術も施している最中。 膀胱の動きが悪くなり、それか原因で坐骨神経痛的症状が出ることはよくあります。 その他、内臓が固くなることにる腰痛や肩凝りは本当によくあるのですが、その存在も治し方も殆んど知られていないのが現状です。

放心コースと再生コースの比率は?施術に「時間をかけること」の有用性

長い90分の放心コースと、実施術時間45分程度の再生コースがあります。 お客さんの割合はどのくらいですか? と時々聞かれますが、先月は放心コースのお客さんが7割を越えました。 毎月大体放心コースが6割~7割程度です。 当所は再生コースをメインと考えていました。 実際放心コース希望は2割くらいだったのですが年々増えて、月によっては8割に迫ることもあります。 私は特に放心コースを薦めている訳ではないのですが、リピーターに限って言えば8割以上が放心コースです。 施術は短く、効果は高い方がお客様にもいいし、施術者の体への負担や収入効率を考えてもこの方がいいと一般的には考えられます。 確かにこれは私も否定しません。 自分が患者ならパッと瞬間的に効果が出て、瞬間的に治る。 はい、いいですよ、と五分ほどで全部終わり。 有りがたいですよね。 しかし、一方でマッサージなど、15分じゃものたらない。45分か、できれば一時間以上やってもらいたいな、と思ったりします。 温泉も効果があるから日帰りで十分、という温泉があったとしても、できれば一泊してお酒飲んだりしたい。 もっと言えば3日、いや、一週間ほど滞在してダラダラしたい。 人間には「治療効率至上主義」では語れないものがあって、癒しの要素が増えるほど時間が重要視されていく傾向があると思います。 西洋医学では基本的に効率が求められますので、数分で効果が出ないと「有用ではない」と判断されたりしますが、時間あたりの効率を求める、というベースそのものを見直して捉える必要がある場合もあると思います。 全ての人が瞬間的に改善することばかりを至上のこととして欲しているのではなく、動物として、たまにはダラダラしたい。それにはどうしてもある程度の時間が必要であるのだろう。 そんな訳で、当院の放心コースも人気なんじゃないかと思います。 前半は体の痛みや動きの障害を取ります。こういうことへの対処は実は結構早く、主訴の殆どが15分~30分で取れることは珍しくありません。 しかし、放心コースをとる人は、主訴が取れたからいいや、とはならずにそのあと、じっくりと展開される内臓、頭蓋、頚椎といった重要部位へとゆっくり、じっくりと施される施術により、浮遊するような瞑想状態に入り、とろけるような感覚を味わったり、様々なビジョンを見たり、音を聞いたり、光を見たりしながら癒され