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鳴戸部屋同部屋優勝決定戦!

 鳴戸親方から、 部屋の序二段 欧鈴木&欧深沢はここまで全勝同士。 千秋楽は同部屋の優勝決定です! という連絡が来ました。 毎年二回は患者さん中心に部屋見学にお連れしているのですが、今年は二月のコロナ騒ぎ直前に一度行ったきり。この後も見込みが立たず残念ですが、せめてテレビで応援しましょう! これまでの見学の様子はこちら https://yuragu-zugai.blogspot.com/2020/02/blog-post_18.html

日々の施術27 前頭直筋が重要であることの続き

前回、前頭直筋が、頸椎の一番と頭蓋骨を前側で繋ぎ、頭を頷かせたりする重要な筋肉であることを書いた。 重要な割には小さく、そして深い所にあるため、触ることも、想像されることも殆ど無いこの筋肉が首の凝りのみならず、全身の調子を整える鍵を握っていることが少なくない。 さて、この筋肉がカチカチになると、上に向こうと、首の後ろ側の筋肉が頑張って縮んでも、あまり上を向くことが出来なくなる。 上に向くとき、頸椎一番と頭蓋骨が柔軟に動かない場合、首全体が後ろにしなって上を向くことになる。結果的に上を向けるのだが、これは「代償行為」と言われて、正式な動きではない。 首を垂直に立てたまま上を向くことが出来ない人は、前頭直筋が硬く、縮んでいる可能性がある。 筋肉は、硬くなるとだいたい縮む。そして太くなる。 硬い=縮んでいる=太い この三点はほぼ間違いなくセットである。 だから、前頭直筋が硬くなっている人は、正常時より前頭直筋が短くなっているわけで、下手をすると、勝手に頭部が下向きになってしまう。 これを防ぐ為に、首の後ろの筋肉は常に力を入れ続けていなければならなくなり、いつかこの筋肉も硬くなっていく、という悪循環が発生しがちだ。 このように、一個の重要な筋肉がダメージを負うことがきっかけとなり、周囲の筋肉が全体的にダメージを負ってしまうことは多々ある。 前頭直筋は頭の前後の動きだけ無く、左右の動きも担っているので、左右に回転させる他の筋肉にもダメージが及んでいき、かくして、気がつくと、喉仏から上の筋肉が前後左右硬く、張りが出て、不愉快感が出て来る。 首の後ろだけでは無く、顎の後ろ、顎の下、喉仏の上部などがくまなく腫れたような感じになっている人は沢山居る。 上記したように、筋肉はダメージを負うと、硬く、短く、太くなるからだ。 美容上も非常に好ましくなく、この状態ではいくらリンパマッサージなどしても、焼け石に水。お金の無駄である。 さて、この辺りの筋肉が硬く、膨らむと、この付近を通っている血管、神経が圧迫されて全身に様々な症状が出る。 全身のコントロールをしている脳と、体を繋ぐ最重要経路が詰まるので、これは大変だ。何しろ、脳と体を繋ぐ神経と血管は全てこの狭い所をに集約されてきて、ここを通過するからだ。海で言うと、まさに海峡。 とはいえ、大多数の神経は脊髄にカバーされた中を通るし、血管も骨で保

江島杉山神社 墨田区

森下の駅からほど近い神社。 この神社の由緒はとても面白いので、鍼治療好きな方はご一読を。 江島は、湘南の江ノ島のことで、杉山は江戸時代の鍼灸師で、将軍綱吉の御殿医となり、盲人の最高位・検校まで上り詰めた杉山和一のことである。 鍼治療は鍼管(しんかん)と言われる、鍼よりちょっと長い管の中に細い鍼を入れてツボに当て、鍼管からはみ出した鍼の先をちょんちょんと叩くことで、鍼を刺すのはご存じだろう。 この方法は 「鍼管法(しんかんほう)」 といい、実は日本のオリジナルで、発明者も分かっている。 もちろん鍼管法は鍼の本場、中国にはない。 中国では、鍼をそのまま患部に刺す。この場合、鍼の強度が必要なので、鍼は太くならざるを得ず、細くてもまち針のちょと細い程度の鍼であるから、色々な痛み緩和テクニックがあるが、かなり痛い。 それに対し、日本の鍼は髪の毛程度のもので、一般的に針というと想像してしまう裁縫に使う針とはほど遠いものだ。 極細故に痛みは少ないが、鍼自体に強度がないので、刺すのが難しい。 この難点を克服したのが鍼管を使用する「鍼管法」であり、この鍼管法を開発して、一躍鍼灸界のトップスターに躍り出たのが杉山和一なのである。 彼は大人になってから失明、当時の失明者の職業であった鍼灸師になるが、全く芽が出なかった。 そこで、一念発起して江ノ島の洞窟に籠もり断食、神霊によるインスピレーションを得ようとした。 行があけ、特にこれといった特異現象は起きなかったが、江ノ島から出ようとした時に、石につまずいて、和一は思いっきり転倒した。 痛たた、と立ち上がろうとすると、いつの間にか手には丸まった落ち葉が握られていた。 そして、その中には偶々松葉が通っていたのである。 これが鍼管法発明の瞬間である。 細い鍼を少ない痛みで的確にツボに打ち込むこの技の開発により、和一は遂に時の将軍の御殿医となり、検校の位を与えられるまでになった。 ある日綱吉に 「世話になっているから欲しいものがあったら何でもやる。言ってみろ」 と言われた和一は「もう欲しいものはないが、貰えるなら目が欲しい」と言った。 国技館や錦糸町のあたりには、今でも三ツ目通りや四ツ目通りがあるが、これは森下付近にあった川にかけられた橋の名前から来ており、昔は一ツ目もあった。 目が欲しいという和一に綱吉は一ツ目の広大な土地を与え、和一はここに江ノ