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鳴戸部屋千秋楽パーティー

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 受験の思い出をこのところ、つらつらと書き連ねておりまして、 書けば書くほど色々なことが思い出され、もう少し書きたいと思っています。 しかし、今日は一旦離れて3年ぶりの千秋楽パーティーのこと。 ご多分に漏れず、コロナ騒ぎで丁度3年前、2020年の1月、初場所千秋楽パーティー以来の開催となりました。 この頃既に「中国で何か特殊な風邪が流行っている」 という噂がありましたが、まだ対岸の火事。 この2~3週間後、大騒ぎになり、気がつけば今に至る… そんな感じです。 このパーティー各部屋ほぼもれなく、千秋楽に国技館付近のホテルや宴会場で行っている 「お疲れ様会」 みたいなもの。 18時頃に表彰式が終わりますが、そこから各部屋一斉にパーティー会場に移動して、 18時30分には始まる所が多いようです。 親方達は大急ぎの移動ですが、若い衆は昼過ぎには相撲を取り終わっているので、結構人手は足りているようです。 会は祝賀ムード満載の 「後援会長からのご祝儀」 に始まり、鏡開きなど定番のものもありますし、 懇意にしている歌手や、力士たちの歌、 ビンゴなど盛りだくさんです。 この日は後援会長が呼んだ祇園の舞妓さんの踊りと、 殿様キングス、宮路オサム氏の歌などがありました。 世代的に殿様キングスは嬉しかったですね(笑) 鳴戸部屋は親方と部屋発足前からお付き合いがありまして、 2017年に琴欧洲が親方になり、ゼロからスタートした第1回の千秋楽パーティーにも参加しました。 この時は弟子四人。 参加者も30人くらいしかおらず、今思い返すと、それは寂しいものでした。 ☆ その様子は→CLICK 部屋も町工場を改造したもので、風呂も無い。 結構寒い時期でも前の路上でホースで水を掛け合っていたりしていました。 弟子同士だけでは稽古できないので、稽古は基本出稽古。 何回か当院のお客様を稽古見学にお連れしたのですが、 ☆ その様子は→CLICK このときだけ 他の部屋から人を借りてきて、それなりに形にしてくれました。 そんな思い出がありますが、コロナ中でも親方はせっせと弟子を集め、 気がつけば写真の様な大所帯に。 びっくりですね。 関取(十両)も一人誕生しました。 これからも応援していこうと思います。 4月から

受験の思い出 3 腰痛

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 前回浪人をして太った話を書きましたが、これに付随する健康についての話を少々。 半年ほどで20キロ以上太ったのは、これまでの片道小一時間の自転車通学がなくなった上に、毎日10時間以上座りっぱなしで勉強していたからです。 ストレスによる過食もあったでしょう。 田舎は公共交通機関が発達していないので、車の運転ができないとどこに行くにも自転車か徒歩になります。 歩く、という選択肢はほぼ無いのでどこに行くにも自転車で行くわけです。 私も放課後友達の家に行くのに片道一時間くらい走っていくのは当たり前で、あの頃はよく運動しました。 しかし、皆さんバイク、車の免許を取った瞬間に全く歩かなくなり、ほんの数分先のコンビニに行くにも車になってしまいます。 この事実は地方に実家がある人や、現に地方でお住まいの方は日々体感していることと思います。 東京に居ると電車に乗るにしてもかなり歩きますので、田舎の人よりは遙かに運動しています。 地方に住んでいると、車の免許がないうちは自転車で都会の人より体力を使いますが、免許を取った瞬間に駄目になります。 私もこれで運動不足に陥ったわけです。 それから、 この頃から私を悩ませ始めたのが腰痛です。 それまでは腰痛肩こりなど感じたこともなかったのですが、暫く勉強すると、腰が痛く立ち上がれない。 また機会があれば話しますが、実は先に書いた補習科にも秋頃からあまり行かなくなり、 事実上「宅浪」のような形で家に籠もっていました。 これは上記の極端な運動不足もありますが、この時、 こたつで勉強 していたのが大きかったと思います。 当時は座り方、姿勢などには私自身も家族も先生方も全く無頓着でしたし、 今ほど世の中で姿勢の重要さが喧伝されておらず、気の利いた椅子や座椅子なども皆無でした。 ですから特に 「これはよくないな」 と思うこともなく、昔ながらの座布団に座って一日中勉強していたのでした。 立ち上がったり違う姿勢のするのはトイレに行くときと、昼食後の唯一の息抜きの時代劇を見るときだけ。 当時は昼過ぎに時代劇の再放送をよくやっていましたよね。 私は片岡孝夫の眠狂四郎が好きでした。 時間通りに悪人が円月殺法でばっさりやられるのを見てから午後の勉強にとりかかっていました。 それはともかく、こんな生活をしていて気がつくと腰痛持ちに。 足腰の筋肉も異様なほど弱っていました

受験の思い出 2 補習科

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受験について書いていたら色々思い出してきたのでもう少し書いてみます。 前回浪人したと書きましたが、浪人時代は卒業した高校に通って勉強しました。 予備校には行っていません。 同じ高校に制服を着て通い、教えてくれるのは高校の先生です。 いわば高校四年生です。 この、高校が浪人中の卒業生の面倒を見てくれるシステムは 「補習科」 といって、地方、特に西の方には結構あったのですが全く存在しない地域もあり、 補習科の話をすると少なからず驚かれます。 私の卒業した高校は古い高校でしたので旧制中学時代の明治時代に建てられたハイカラな校舎が残っていました。 紹介されたブログ→ CLICK ここの本館と離れに一教室ずつ、理系と文系に分かれて浪人生が入ります。 当時、大手予備校は一通りありましたが、予備校よりは進学率が高くて安い、 ということで人気があり、浪人が決まった卒業生の殆どが補習科に通いました。 私の代は人数が多く、理系文系ともに40人くらい居た記記憶があります。 週に1回体育の授業もあり、ソフトボールかバドミントンかバスケットボールを選べました。 私の高校は各学年で体操服の色が決まっており、私は青色だったのですが、入学してすぐ、校舎のベランダから校庭を見ていると、 やや白く色あせた、ヨレヨレの体操服を着たどう見てもおじさん臭くて新入生には見えない、 しかし新入生と同じ色の体操服を着た一団が実に嬉しそうにソフトボールをしているのを不審に思い、先生に質問して初めて、補習科というものの存在を知りました。 その時は浪人して嬉しそうにしてるのか、だせー、と心底馬鹿にして(笑)、 あんな惨めな立場にはなりたくない、というか、なるわけがない、と自信満々だったのですが、3年後、ベランダからの現役生達の冷たい目線などもろともせずに、ソフトボールを楽しんだのでした。 週に一度のソフトボールは実に楽しかった。 普通の授業だと、キャッチボールの練習とか色々カリキュラムがあり、試合はなかなかさせて貰えなかったのですが、毎回試合ですから。 高校は隣の市にあり、毎日小一時間、ドロップハンドルの自転車を全力で漕いで通っていたのですが、体力の温存と時間節約のために原付で通い始めて(本当は禁止)、一気に太りました。 一日10時間以上座りっぱなしで、原付で通っていたのですからこれは仕方ない。 今は63キロくらいで、

2023年今年もよろしくお願いいたします

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 早いものでこないだ令和になったと思ったらもう五年、 こないだ新年を迎えたと思ったらもう九日ですね。 今年もよろしくお願いいたします。 四日から施術を行っていますが、例年この時期は受験生が沢山お越しになり、 今年も中学受験から大学受験、浪人生までお越しになっています。 みなさん、親御さんが元々お越しで、そのままお子さんの施術を行うようになった形です。 大学受験は今年は日本で一番難しいあの大学や、 楽器演奏家になるためのあの実技の難しい国立大学など。 実技の方は、一日何時間も同じ楽器を弾くので、体のメンテナンスも重要。 こちらも気が引き締まります。 私も大学受験は一浪しました。 地方の学校だったので、国立以外は大学にあらず、と言った中で受験期を過ごしました。 先生も私立大学に全く詳しくないので、私立の受験指導は全くなし。 殆どの生徒が私立進学をまともに考えたことがなかったと思います。 高校生なんてやはり視野が狭いですから、環境に左右されます。 私もそんな校風の中、国立一筋、できれば旧帝大狙いでしたが、 現役時代に私立の滑り止め無しで受けた国立二校に両方落ち、結構精神的に追い詰められました。 一浪の時は受験機会を増やそうと、私立も受験。 ただ、いわゆる早慶上智しかよく分からなかった上、 先生も「私立は勝手に受けろ」という感じだったのでこの三校だけ受験しました。 早稲田だけは教育と第一文学に願書を出しましたが、慶応、上智は文学部だけでした。 私立の問題は癖があり、独特の対策が必要、という情報を得てはいたのですが、過去問もやらずにいきなり二月の頭に上智に受けに行き 「おいおい、なんだこの英語の長文は」 と驚いているうちに試験終了、不合格。 それでも慶応の対策をせずに受けに行き初めて見る問題形式に撃沈。 さすがに二月最後の早稲田教育は過去問を買い、前日に布団の中で過去問を見て、 これはセンター試験に似ているから結構いけるんじゃないか、と思った。 実際手応えがあったものの、 試験終了後、マークシートの解答を回収までに眺めていると、 マークが一個ずつズレているのを発見。 このまま違反になってもいいから消しゴムで消してやり直そうか? とガクガクしながら考えているうちに回収。 当然不合格。 その後、九州大と東北大の2次試験を福岡、仙台と地方行脚して受けに行った