受験の思い出4 ギックリ腰
前回、金沢大学受験という半端なところで終わってしまいましたが、
このあと、浪人時代のこたつ勉強を経て腰の状態は悪化。
腰痛に悩まされるようになりました。
しかし、動けなくなるほどの腰痛=いわゆる「ぎっくり腰」にまではならなかったので、
何とかかんとかしのいで過ごしていました。
しかし、就職し、私立高校の教員になって一年経つか経たないかくらいでしょうか。
ぎっくり腰になりました。
いい年になるまでフリーアルバイター的なことをしてブラブラすごしていたのですが、
それがいきなり担任を持たされ、4月1日から生活が激変しました。
就職当時は女子高校だった私の勤務校。
それだけでもインパクトがありますが、もっと凄いのが一クラス50人だったこと。
50人ですよ。
大集団といってもいい。
これを3月一杯までフリーな生活をしていた人間が任されたわけで、これは大変なことでした。
ある日、家を出ようと靴を履いている時に、何故かくしゃみが出まして、
その後、続きの動作をしようと思ったらできない。
もう、どうにもならないわけです。
一人暮らしをしていたので、そのまま何とか居間まで這いながら戻ってきて、
職場に電話をしました。
私立の高校は少人数の正社員(専任教諭)でギリギリ回し、足らない分を常勤講師、非常勤講師といった期間限定雇用者や、パートタイマーで埋めています。
専任教諭が1人休むと、休んだ分をその日は誰かが負担しなければならず、他の人の仕事が激増します。
ただでさえギリギリでやっている他人の仕事を増やしてしまうわけで、まさに
「這ってでも行く」
という雰囲気がありました。
高熱があっても
「行くか行かないか」
ギリギリまで悩みましたが(コロナの今では考えられないですね)
ぎっくり腰をしたときだけは、這うこともままならないわけで、あっさりと
「今日は行けません!!」
と電話した覚えがあります。
丸二日ほど、トイレと食事の時だけ芋虫のように這って移動し、それ以外は寝返りも打たずに(打てずに)寝ていると自然とよくなりました。
まともにぎっくり腰になると、湿布も経口の痛み止めも殆ど効きませんが、寝ていると自然と良くなります。
寝ているしかないのですが、勝手に治るといえば治る。
しかし、これがかなりの問題で、
一旦体が痛みに馴染むだけで、実は治っている訳ではないのです。
腰痛の「種」のようなものが腰椎や骨盤に残っているのです。
これは整体師になってから分かりました。
だからいわゆる「腰痛持ち」という人は、数ヶ月から数年に一度ぎっくり腰を繰り返すのです。
今増えている帯状疱疹も、ウイルスが神経のどこかに潜んでおり、免疫力が下がってくると活動を活発化させることで発症しますが、ぎっくり腰の「種」も似たようなもので、
緊張、疲労、寒さなどが蓄積したり、タイミング良く重なると発症するわけで、
ぎっくり腰の完治にはぎっくり腰の種を消去する必要があります。
ところで、ぎっくり腰になるまで、私は鍼をはじめ、いわゆる整体には一度も行ったことがありませんでした。
職場はストレスと疲労の蓄積所みたいなところで、皆どこかしら体を傷めていましたので、鍼、整体、マッサージなどに行っている人が多かったのですが、
私がぎっくり腰になったと知ると、色々な教員が
「遂になったか~」
と嬉しそうに寄ってきて、お勧めの施術所を色々教えてくれました。
これによって、私は西洋医学以外の「代替医療」の世界に足を踏み入れ、それが今に繋がっていくわけで、まあ、世の中色々繋がっており、なるようになっているんだな、と思わされます。
また次回は受験のことについてもう少し書いておきたいので、受験の話に戻ろうと思います。