受験の思い出 5 理系と文系

私が現役の時に受験に失敗した理由は色々ありますが、

比較的大きな理由の一つに

「理系と文系のどちらに行けばいいか分からなかった」

ということがあると思っています。

「どちらに行けばいいか分からない」

というか

「区別すること自体が理解できなかった」

という方が正確であり、この気分は今でも続いています。


私は父親が無線の技士だった関係で、家には電子部品や半田ごてが沢山ある環境で育ちました。

中学生に入ってアマチュア無線の免許を取り、

無線機やアンテナを自作したりして、大いに楽しんでいましたし、

小学生高学年では天体観測にはまり、天文年鑑を読んで星の観測をしていたりしたので、

高校では自然と理科系に進んだわけです。

将来は漠然と電気系の技術者になるのだろうと思っていました。


時は80年代。

技術の進歩は今でも止まるところを知りませんが、

当時も目新しいものが次々と出て、1年前の製品がもう古くなったり、

1年で半分くらいの大きさにコンパクトになったりと、次々と進化していました。

最新機器のチェックは大好きだったのですが、

「この行き着く先はどこなんだろう?」

と小学生以来のワクワク感よりも、うんざりする気持ちがなんとなく芽生えてきた。

そうしたら、その気持ちがどんどん強くなってきて、

「飽くなき新製品の開発を続けて一生を終えるのが嫌だ」

と思うようになってしまいました。


同じ理系でも技術系では無く

「究極の宇宙の仕組みは何か」

「自然はどのような機序で成り立っているのか」

といったことを観察、考察する自然科学系に大いに興味が移って行き、

数学や量子力学などのブルーバックスをよく読むようになりました。


そこから、哲学までうっかり進んでしまうのは、もう仕方のないことでした。

ここまで自分なりに色々思索し、試行錯誤し、興味を深め「進化していった」訳ですが、

折悪しくこの頃が高三とぶつかってしまった。


学校では

「何がやりたいのか?」

「将来何になるのか?」

「何を受験するのか?」

「試験科目はどう選択するのか?」

とやいのやいと、毎日聞かれるようになったのですが、

何をしたいのか、何になりたいのか全く分からない上に、

受験上の枝葉末節に興味が無かった私は先生に気の利いた答えもできず、

のらくら答えていると

いつの間にか

「やる気が無い」

的なレッテルを貼られ、そのうち自分でもなんとなくそういう気がしてしまったのでした(笑)


今ついている職業は理系でもなく、文系でもありません。

免許を取るにあたり、解剖学や生理学などを学びまして、ここでは化学や科学といった所謂「理系的知識」がとても重要でしたが、最終的に臨床でおこなっていることは理系、文系の区別がつかないものであり、自分でも気に入っています。

結局は理系や文系なんて受験上の方便にすぎません。

ここに余りにも拘るのは個人としても、国としても実に勿体ないことだと思っています。




このブログの人気の投稿

オステオパシーはオカルト?宗教?なのか。整体師の多くもまだ知らないジャンル

施術への感想。色々なビジョンが見えた!

空き枠のチェック用にライン オープンチャット開設