神頼みの前に自分の人に対する態度を見直しましょう
いわゆるスピリチュアル的な相談を受けることも多く、自分で手におえない場合知り合いの占い師やスピリチュアルな専門家を紹介することもあります。
簡単に言うと神様に頼むわけです。
スピリチュアルがブームになってから悩みを解決しようと様々な神仏に頼ったり、神社の参り方がどうのこうのと、細かく、蘊蓄の獲得に余念がない人が増えてきたように思います。
でも、悩んでいる人を見るとそんなに難しいことをしなくても、単に三次元というか、この世界で普通にもっと、実際に接している人に対して「感謝の念を持つ」とか「義理がたくある」ということをすればいいだけなんじゃないか、と思うことが増えてきました。
困った時に困った困った、と大騒ぎをするけれど、喉元過ぎればけろっと忘れてしまう。
そして、まるで初めから自分は何も困っていないかのようにふるまう。
これは人間の本性ではあるんですが、それではいけないよ、ということで大昔から感謝や義理、ということが口うるさく言われているのですが、何百年経っても人間にはなかなか身に付かないようです。
神様は人間にとってとりあえず都合のいい存在で自分の状態は棚にあげて、色々勝手なお願いをしても受け入れてくれるような気がします。
一方で人間関係は面倒くさいわけです。
出方によって相手はすぐ起こったり泣いたり、顔色を変えたりと、どんどん変わるから、丁寧に丁寧にやっていかないといけない。
そこでトラブルになり、嫌な気持ちになり、体調まで崩して(これには自覚がない場合もあるかもしれませんが、体調不良の多くは人間関係で引き起こされます)、さて、どうするか、といったときに、結局自分は変えずに、変えようという気持ちもないまま「超越的存在」を頼ろうとする。
そんな人が多いと思います。
でもその前に対人関係を丁寧にやればいいんですよ。それだけのことです。
ただ、それは結構難しく、忍耐や我慢や、自己変革が必要なことが多い。
だからそれは投げ出してしまって、神頼みをする。超越的なものに頼る。
でもそれでは神様は何の言うことも聞いてくれないでしょう。
そんな勝手な奴のいうことを聞きたくない、と思うのは人間と同じです。
しかも、人間相手なら適当な嘘を言って対面しているその場だけ取り繕えば騙せますが、神は全てを見ているので騙すことの出来ない存在です。適当な頼みごとをするのには、最もふさわしくない相手なのです。
何もかも裏も表も完全に知っている相手に自己都合の頼みごとをするのは怖くありませんか(笑)?
各人の都合のよいように働くのが神ではありません。
都合のよいように働くものもいるようですが、それはそれなりのレベルの「神(的なもの)」で、多分人間以上に見返りを求めてくるものなのですが、そのサインは分かりにくく、そもそも感謝の足らない安易な神頼みをする人は自己観察が足りませんから、殆んどを見逃すためにじわじわと窮地に追い込まれます。
神様が怖い、と言われるのはこのように全部見られていること、そして、それ以前に、我が儘な人は本当の神様にはアクセスできず、神様っぽいけど神様じゃない人間以上に人間的な「何か」にアクセスしてしまうことも多いからだと思います。
スピリチュアルな世界に頼る前に、自分は感謝が足りているか、義理がたくあるか、ということにもう一度思いを馳せて、遠くの「◯◯に効果のある神社」なんかに行って勝手なお願いを重ねる前にあの人やこの人に、ちょっとしたお礼のメールなり手紙を出して感謝の意をのべたり近況報告をするといった、もっと簡単な「三次元的」なことを実践してみるべきだと思います。
実際、私もこの仕事を通して幸いなことに各界の超一流の方々に多く触れる機会を持ってきましたが地位も高く皆に敬われ、忙しくある、成功した人ほど、神様ごともしていますが、それ以前に人に対して分け隔てなく非常に義理がたいもので、それだけはどんなジャンルでも共通しています。
もっと三次元、肉体の世界、対面の世界を大切にしましょう。
死ねば勝手にスピリチュアルな世界に入ります。
三次元にいる間に肉体を持っている三次元の良さと辛さをもっと味わえばよいのだと思います。