受験の思い出 3 腰痛

 前回浪人をして太った話を書きましたが、これに付随する健康についての話を少々。

半年ほどで20キロ以上太ったのは、これまでの片道小一時間の自転車通学がなくなった上に、毎日10時間以上座りっぱなしで勉強していたからです。

ストレスによる過食もあったでしょう。


田舎は公共交通機関が発達していないので、車の運転ができないとどこに行くにも自転車か徒歩になります。

歩く、という選択肢はほぼ無いのでどこに行くにも自転車で行くわけです。

私も放課後友達の家に行くのに片道一時間くらい走っていくのは当たり前で、あの頃はよく運動しました。

しかし、皆さんバイク、車の免許を取った瞬間に全く歩かなくなり、ほんの数分先のコンビニに行くにも車になってしまいます。

この事実は地方に実家がある人や、現に地方でお住まいの方は日々体感していることと思います。

東京に居ると電車に乗るにしてもかなり歩きますので、田舎の人よりは遙かに運動しています。


地方に住んでいると、車の免許がないうちは自転車で都会の人より体力を使いますが、免許を取った瞬間に駄目になります。

私もこれで運動不足に陥ったわけです。


それから、この頃から私を悩ませ始めたのが腰痛です。

それまでは腰痛肩こりなど感じたこともなかったのですが、暫く勉強すると、腰が痛く立ち上がれない。


また機会があれば話しますが、実は先に書いた補習科にも秋頃からあまり行かなくなり、

事実上「宅浪」のような形で家に籠もっていました。


これは上記の極端な運動不足もありますが、この時、こたつで勉強していたのが大きかったと思います。

当時は座り方、姿勢などには私自身も家族も先生方も全く無頓着でしたし、

今ほど世の中で姿勢の重要さが喧伝されておらず、気の利いた椅子や座椅子なども皆無でした。

ですから特に

「これはよくないな」

と思うこともなく、昔ながらの座布団に座って一日中勉強していたのでした。

立ち上がったり違う姿勢のするのはトイレに行くときと、昼食後の唯一の息抜きの時代劇を見るときだけ。

当時は昼過ぎに時代劇の再放送をよくやっていましたよね。

私は片岡孝夫の眠狂四郎が好きでした。

時間通りに悪人が円月殺法でばっさりやられるのを見てから午後の勉強にとりかかっていました。

それはともかく、こんな生活をしていて気がつくと腰痛持ちに。

足腰の筋肉も異様なほど弱っていました。

大学時代も腰の不調はずっと引きずりました。

寝込むようなことはなかったのですが「自分は腰痛持ちだ」という自覚はありました。

ただ、教員になり、忙しい日々を過ごすようになると、ついに

「ぎっくり腰」

という形で一気に腰痛が悪化、丸一日瞬きくらいしかできずに寝ている、という事態にまで陥りました。


腰の弱りは浪人時代に悪化しましたが、現役時代の後半にも既に始まっていました。

現役時代、一校目の国立大学は金沢大学。

12月から学校はなくなっていましたので、受験が久しぶりの外出。

重い荷物を持って香川から船に乗って岡山に着いた時点でかなりフラフラ。

岡山では新幹線に乗り遅れそうになり、ちょっと走ったら喘息の様な状態になり、新神戸あたりまでゼイゼイと肩で息をしていました。

新大阪で乗り換えて金沢のちょっと手前の駅で降りるとそこは一面の雪でした。

今みたいに予約サイトなどありません。

切符は父親が会社に出入りしていた旅行業者(大きな会社だったので、出張の手配が沢山あり、毎日来ていたようです)に頼んで手配してもらっていました。

もちろん、自分で選択などできず、業者が「金沢市内はもう宿が一杯で…」と手配してきたのがこの宿でした。

今となってはどこだったのか全く分からないのですが、巨大な温泉旅館だったので恐らく加賀温泉郷のどこかでしょう。

駅からタクシーに乗ると、スパイクタイヤを履いたこのタクシーがとんでもない勢いで、雪で真っ白、どこが道かも分からないような田んぼの中を飛ばすので度肝を抜かれました。

旅行なら楽しいでしょうが、体力的にギリギリでやっとたどり着いたという感じ。

しかも翌日は受験です。

夜は大企業がいかにも忘年会で使いそうな、舞台付きの広大な宴会場の隅っこに五つくらいお膳が並べられ、ここに当夜泊まった受験生が集められました。

皆全国から金沢大学二次試験の為に1人で出てきたのでしょう。

翌日は受験な上に、不慣れな一人旅。

会話などはずむはずもなく、大宴会場で黙々と食事をしたことを昨日のように思い出します。


翌日、また雪の中をタクシーで駅に向かい、着いた金沢駅は、今とは全く違う木造の古びた駅でした。

もうこの時点で私の体力は尽きかけており、駅の階段を普通に降りていただけですが、両膝が崩れ、正座をしたような形になった。

そのまま膝がそりの様になり、正座のまま階段を五段くらい滑り落ちました。

足腰が弱っていたものの、何故か階段の下ではすっとそのまま落ちた勢いで立ち上がることが出来、何食わぬ顔で(まるで正座で階段を滑り落ちるのが予定の行動であったように(笑))歩き始め、改札まで出ましたが、そこであまりの痛みに密かに椅子に倒れ込みました。


駅に着いていきなり滑ったわけで、もちろん金沢大学は不合格。

今は立派なキャンパスが郊外にあるようですが、当時は金沢城の中にあり、大手門をくぐるとすぐに、いかにも戦後すぐ建てられた感じの無機質なコンクリートの建物が並んでいました。

雪の中の古びたコンクリートは実に殺風景で、中は芯まで冷えており、スチーム暖房がカンカンと大きな音を立てる中、すねの傷を気にしながらの受験でした。


北陸の陰鬱な空、暗いコンクリートの校舎とあいまって、暗い思い出しかありません…

写真は金沢大学のHPにあるものですが、年代はもちろん、光景も私の記憶とピッタリ一致します。







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