圓融寺座禅会

友人のお寺、目黒の古刹、圓融寺(えんゆうじ「圓」は「円」の旧字)
近年、
SNSなどから圧倒的な勢いで押し出されてくる、他人の価値観に我々は強く晒されるようになりました。
国指定重要文化財の釈迦堂は、都内で2番目に古い木造建築とされています


これに流されると、とにかくなんかしてればいい、
何かしなければならない、
何かマグロのように止まらずに色々やってる人最高、となってしまいがちです。
何か、他人に自慢できるようなことをやっている=有意義
人に羨まれるようなことをしていない=無意味
となってしまいますが、他人の情報を気にし、他人の目線を気にする余り、
自分で自分が何をやっているのか、訳が分からなくなってきます。

こうなると表向きは何か特殊なことをしているように見えたり、
特別な場所に行ったり、特別な人に会っているようでも、
心ここにあらずといった状態ですから、実は無意味で、長く続かず、
結果もあまりついてきません。

毎日同じ場所で、同じように仕事をしている人や職人も沢山居ますが、
このような表向き判で押したような、つまらない、
同じ場所の往復の日々に見えても、心の中で日々その人が新たな発見をしていれば、
これほど有意義なことはありませんし、
他人の役にも立つでしょう。
肉体をとにかく忙しくあちこちに動かしても、限界があり、最後は疲弊します。

究極の多動は不動の中にあります。

これを深く納得する為に、瞑想があり、私も日々瞑想は欠かしません。
施術中も、殆ど瞑想しているようなものなので(笑)、瞑想時間は長いです。
手を当てただけ、更には触れずに人の体を動かす技は、
この、不動と多動を融合させた境地にあります。

動かさない、動かないことによって、大きな動きを誘発するのです。

日々一人で瞑想をやっていても独善的になるので、
久しぶりに目黒の円融寺の夜座禅に来ました。

目黒といっても、JRの駅からはかなりあります。ここからはバスが頻発しています。
余談ですが、現在の目黒駅は、駅舎自体は品川区にあるように、
目黒という地域のギリギリはずれにあります。
山手線の駅がある場所がどうしても中心地だと思われがちですが、
本来の目黒の中心地は、もっと山手線の内側です。

この日は東横線の学芸大学から15分ほど歩きました。

真っ暗で全然写らず、ホームページからの引用ですが、
室町時代に建てられた23区内最古の建造物である釈迦堂の中に実際に入り、
お釈迦様の前で座禅が出来ます。
この日は暑かったけれど、開け放した日本建築独特の解放感と、風がよかった。

座禅中はお釈迦様の前に灯した蝋燭の灯りだけです。
これがユラユラとしてとてもここちよい。
都内でこんなに本格的な場所で座禅できる会を私は知らない。

住職の話もとてもありがたい。
阿(おか)住職は、早稲田の東洋哲学科の同級生。
リベラルと言われる早稲田の中でも一目置かれる、
無秩序とすら言われる自由な雰囲気の東哲の友人は卒業と同時に雲散霧消、
消息不明の人ばかりなんですが、その中で数少ないちゃんとした人です。

東洋哲学は、西洋的な学問の枠組みや、大学の仕組みに全然マッチしていないんですね。

阿君は、こんなおおきなお寺を預かって、裏にある圓融寺幼稚園の園長もやっている。
本当に忙しそうですが、それを感じさせない雰囲気に、座禅の効果を感じます。
もちろん、SNSに、凄く忙しいくて、投稿する暇もありません。
なんていう投稿もしない(笑)

以前は時々飲みに行ったり、彼が中国に留学している時に遊びに行ったりと、適当に遊べたのですが、
お父様の跡を継いで、住職になってからはそうもいかない。
でも、時々はこういうちゃんとした人と会話すると安心するのだ。
http://www.enyuu-ji.com/
毎月座禅会やら、ヨガの会やら、色々面白い企画をしているお寺のなので、皆さん是非。
夜座禅は特にお薦めですが、昼間散歩に行っても広い境内が感動的です。

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