体は繋がっているという話 1
体は全て繋がっています。
それは当たり前のことで、我々の体は足の指から、頭の先の髪の毛まで、
物理的に繋がっています。
どこかに隙間が空いている人は、生きている限り、存在しないと思います。
それは誰でも知っている明白な事実なのですが、医療になると、急に様相が変化します。
頭が痛い。これを膝を触って治す。
お腹の調子が悪い。これを手首から治す。
こういうことを言うと不思議がられますし、
実際にこういう施術をよくするのですが、施術をすると不審がられたり、
不思議がられたりします。
慣れている人は良いのですが、初診の人は、
腰が痛いのに首の施術をされた、といってかなり不満そうだったりします。
腰はどうですか?と聞くと「いや、確かに腰は良くなった気はするけどさ」
と、治ったことを認めたがらないし、
腰が良くなった、という事実よりも
「腰が痛いから来たのに腰をに「何か」をしなかった」
ということが気になって仕方ない、納得がいかないので来なくってしまう人もいます。
東洋医学や鍼の世界では、手首や足首からお腹の調子を整えたり、
腰から首を治したり、首から腰の調子を整えるのは
「基本中の基本」なので、全く不思議ではないのですが、
西洋医学しか受けて来なかった人には、これがなかなか受け入れられないようです。
腰が痛ければ、腰を治療、頭が痛ければ、頭を治療。
肝臓が悪くなれば、移植して交換。
こういう、車の修理をするかのようなダイレクトな治療に慣れてしまっているからです。
最初の「不審」を乗り越えて、コンスタントに通っている方にも、
しょっちゅう
「不思議ですね~体って繋がっているんですね」
としみじみと感心したように言われます。
今日も肩凝りを足首から、首の痛みを手首から取りました。
両方とも常連さんでしたが「不思議ですね~」と連発していました。
手首なんかの場合は、すぐにお腹がゴロゴロと緩んで動き出しますので、
余計に不思議な感じがすると思います。
どちらも触れているだけなのですが、瞬間的に寝てしまうのも面白いところです。
それはさておき、
体はもう一度言いますが、一体です。まぎれもなく繋がっています。
たかだか長さが最大でも2メートルほどの地上の物体です。
どこかを強く刺激すれば、その波は全体に及ぶのは当たり前だと思います。
しかし、我々は、小さいときから
「これが指」「これが指先」「これが足先」「ここがくるぶし」
と、細かく観念上分けられた部位につけられた名前を覚えていくうちに、観念的には(頭の中では)本当にバラバラだと思い込むようになっていきます。
これは海と似ていると思います。
海は、宇宙から見れば、全て繋がっています。
陸で狭められたりしている所はありますが、
なにしろ、そこを満たしているのは水ですから上手く形を変えているだけですよね。
我々はこの地形上のアクセントに応じて、日本海とか、太平洋とか名前を付け、更に細かく相模湾とか、葉山港などと、名前をつけている訳ですが、便宜上名前をつけているだけで、実際は完全に繋がっており、切りようがありません。
従って、どこかで大地震でも起きれば、その震動は波となって世界中に伝播します。
これはご理解頂けると思います。
体の仕組みはこれと全く同じです。
日本海と太平洋、インド洋や地中海は遠いようですが、繋がっている。
それどころか水という一つの大きな物体です。
東洋医学や、オステオパシーでは、体をこの様に捉えていきます。
どこかで発生した震動は、そこだけにとどまらず、全体に波及します。
そして、意外なところで、反射しあった波が高まったりすることがあるでしょう。
その表面上目立つ所。体だと、痛かったり腫れている所、そこを狙って何かをしても、
実はそこには反射しあった波が集まって目立っているだけで「実際は何もない」こともあるのです。
目立った症状だけを抑えることにやっきになっていても、震源地は全く違う所にあるかもしれないのです。
どこかの湾に赤潮が発生したとします。
これを解決する為には、その湾の中で赤潮が発生するメカニズムを追求する必要もありますが、
最終的には気象の問題も必ず絡んできます。
気象は地球規模の視野がなければ捉えきれません。
湾の中だけで何かをしても限界はありますし、全く違う所で根本的に気象が正しく動くような働きかけをすれば、結果的に時間はかかるけれど、その湾には特に何もしなくても赤潮が発生しなくなるかもしれません。
そういう解決がされた場合は、その湾だけがよくなるのではなく、その他の湾や、地区にあった様々な問題も自然解決することでしょう。
こういう医療を我々は目指しているのです。
私ももちろん、高校時代はずっと理系で、理系の国立大学を目指していた理系人でしたので、私の持っていた人体観も極めて西洋医学的なもので、
対処療法=医療だと思っていました。
ところが、今でも覚えているある体験で、この考えを改めなけらばならないと思うようになりました。
この体験は「体は繋がっているという話 2」に書きます。
それは当たり前のことで、我々の体は足の指から、頭の先の髪の毛まで、
物理的に繋がっています。
どこかに隙間が空いている人は、生きている限り、存在しないと思います。
それは誰でも知っている明白な事実なのですが、医療になると、急に様相が変化します。
頭が痛い。これを膝を触って治す。
お腹の調子が悪い。これを手首から治す。
こういうことを言うと不思議がられますし、
実際にこういう施術をよくするのですが、施術をすると不審がられたり、
不思議がられたりします。
慣れている人は良いのですが、初診の人は、
腰が痛いのに首の施術をされた、といってかなり不満そうだったりします。
腰はどうですか?と聞くと「いや、確かに腰は良くなった気はするけどさ」
と、治ったことを認めたがらないし、
腰が良くなった、という事実よりも
「腰が痛いから来たのに腰をに「何か」をしなかった」
ということが気になって仕方ない、納得がいかないので来なくってしまう人もいます。
東洋医学や鍼の世界では、手首や足首からお腹の調子を整えたり、
腰から首を治したり、首から腰の調子を整えるのは
「基本中の基本」なので、全く不思議ではないのですが、
西洋医学しか受けて来なかった人には、これがなかなか受け入れられないようです。
腰が痛ければ、腰を治療、頭が痛ければ、頭を治療。
肝臓が悪くなれば、移植して交換。
こういう、車の修理をするかのようなダイレクトな治療に慣れてしまっているからです。
最初の「不審」を乗り越えて、コンスタントに通っている方にも、
しょっちゅう
「不思議ですね~体って繋がっているんですね」
としみじみと感心したように言われます。
今日も肩凝りを足首から、首の痛みを手首から取りました。
両方とも常連さんでしたが「不思議ですね~」と連発していました。
手首なんかの場合は、すぐにお腹がゴロゴロと緩んで動き出しますので、
余計に不思議な感じがすると思います。
どちらも触れているだけなのですが、瞬間的に寝てしまうのも面白いところです。
それはさておき、
体はもう一度言いますが、一体です。まぎれもなく繋がっています。
たかだか長さが最大でも2メートルほどの地上の物体です。
どこかを強く刺激すれば、その波は全体に及ぶのは当たり前だと思います。
しかし、我々は、小さいときから
「これが指」「これが指先」「これが足先」「ここがくるぶし」
と、細かく観念上分けられた部位につけられた名前を覚えていくうちに、観念的には(頭の中では)本当にバラバラだと思い込むようになっていきます。
これは海と似ていると思います。
海は、宇宙から見れば、全て繋がっています。
陸で狭められたりしている所はありますが、
なにしろ、そこを満たしているのは水ですから上手く形を変えているだけですよね。
我々はこの地形上のアクセントに応じて、日本海とか、太平洋とか名前を付け、更に細かく相模湾とか、葉山港などと、名前をつけている訳ですが、便宜上名前をつけているだけで、実際は完全に繋がっており、切りようがありません。
従って、どこかで大地震でも起きれば、その震動は波となって世界中に伝播します。
これはご理解頂けると思います。
体の仕組みはこれと全く同じです。
日本海と太平洋、インド洋や地中海は遠いようですが、繋がっている。
それどころか水という一つの大きな物体です。
東洋医学や、オステオパシーでは、体をこの様に捉えていきます。
どこかで発生した震動は、そこだけにとどまらず、全体に波及します。
そして、意外なところで、反射しあった波が高まったりすることがあるでしょう。
その表面上目立つ所。体だと、痛かったり腫れている所、そこを狙って何かをしても、
実はそこには反射しあった波が集まって目立っているだけで「実際は何もない」こともあるのです。
目立った症状だけを抑えることにやっきになっていても、震源地は全く違う所にあるかもしれないのです。
どこかの湾に赤潮が発生したとします。
これを解決する為には、その湾の中で赤潮が発生するメカニズムを追求する必要もありますが、
最終的には気象の問題も必ず絡んできます。
気象は地球規模の視野がなければ捉えきれません。
湾の中だけで何かをしても限界はありますし、全く違う所で根本的に気象が正しく動くような働きかけをすれば、結果的に時間はかかるけれど、その湾には特に何もしなくても赤潮が発生しなくなるかもしれません。
そういう解決がされた場合は、その湾だけがよくなるのではなく、その他の湾や、地区にあった様々な問題も自然解決することでしょう。
こういう医療を我々は目指しているのです。
私ももちろん、高校時代はずっと理系で、理系の国立大学を目指していた理系人でしたので、私の持っていた人体観も極めて西洋医学的なもので、
対処療法=医療だと思っていました。
ところが、今でも覚えているある体験で、この考えを改めなけらばならないと思うようになりました。
この体験は「体は繋がっているという話 2」に書きます。