呪文を唱える時
加持水との出会い
という記事で呪文を唱えると書きましたが、実は私はそれ以前から施術中、お経や呪文を唱えています。
呪文は仏様の真言が多く、これは加持水以前から、邪気を取るにあたって、自分の閃き、工夫で取り入れてきたものです。
しかし、ご存知のように施術中私は無言です。
お経や真言は心の中で唱えるようにしているからです。
もちろん、自分が修行先と思っている寺や、山の中に行くと大声でお経や真言を上げる時もあります。
これは声を出すと気分がいいからで、効果としては声に出して出さなくても特に変わらないと思っているので、施術時には声を出さないようにしています。
うわーっと声に出して真言やお経を唱えると、
無条件に有難がって
「これは効きそうだ!」
と思う人と
「自分は腰痛を改善しに来たのに、なにやら怪しいことが始まってしまったな」
と思う人と2種類に分かれるようです。
私はどちらのタイプの人にも、特に何も思わず、期待も萎縮もせずに、のんびりして欲しいので無言でやっています。
どちらかというと呪文を有難がる人が多いでしょう。
ですから、発声をパフォーマンスでやっている施術者も大勢います。
私も患者さんから
「◯◯って所に行ってきたけど、呪文が凄かった」
みたいなことは時々聞きます。
「効果ありました?」
と聞くと
「いや、よく分からないけど、呪文唱えてもらったんで、何か効いてる感じがします。
お祓いもしてもらったし」
みたいなことを言う人がほとんどです。
どれどれ、と体をチェックしてみると、数日前に邪気を払い、腰痛を鎮める呪文を唱えてもらった?え?
何もやってないのと同じじゃないか。
と言うことが残念なことに9割ですね。
たまに
「おお、これは効いてるかも」
ということがあり、そういう時は、丸亀の行者さんの時のように、そこの連絡先をすかさず聞きます(笑)
宝具など使い、振り回して呪文を唱えても、やっている人自体に力がなければ何にもならないです。
装着、衣装、道具、呪文はあくまでも祈祷者の力をサポートするに過ぎず、祈祷者自身の力、技術が9割です。
形だけやっても何にもなりません。
前からそうじゃなかいとは思っていたのですが、自分がやるようになってよりよく分かるようになりました。
神主の資格を持った人であってすら、衣装を着て、祝詞を唱えながら神前で特定の所作をしても、彼自身に「イメージ力」や、エネルギーを操作する力がなければ、それはただの形だけの儀式であり、なにも払えないですし、そうやって作ったお守りも、ただの紙切れです。
ですから、以前はそこら辺の神社でお祓いを受けたり、御札やお守りを買ったりしていましたが、今は全くに近いぐらいしません。
それはさておき、話を元に戻します。
効果が著しく変わるならもちろん、怪しまれても声を出しますが、特に変わらないので無言です。
昨年、某俳優さんがしているセミナーに参加しました。
武術、操体法のセミナーです。
その時、寝ている人を抱きかかえて上半身を起こしたり、引っ張って立ち上がらせる時に
「ありがとう」
と唱えながら軽く出来る、というのを体験しました。
これ自体は昔から言われていることで、この方の専売特許ではありませんが実際にやってみたことがなかったので、貴重な体験となりました。
確かに全然違うんですよね。
もちろん、科学的なメカニズムは不明です。
多分プラシーボ効果だということで片付けられるんでしょうが、プラシーボ、素晴らしいですよね。
人間は好むと好まざるとにかかわらず、自分の思った通りに世界を作り上げていますから、そもそも世界は全部プラシーボなのです。
さて、その時に
「ありがとう」
は発声してもしなくても変わらない、という説明をされ、それに基づいて各自声に出したパターンと心のなかで言うパターンと両方やってみましたが、確かに効果は変わりませんでした。
この経験から呪文もやはり声に出しても出さなくても変わらないんだろうな、と思いました。
あるとすれば、無言だと患者さんが物足りなさを感じてしまい、プラシーボ効果が発揮されないということはあるかもしれませんが(笑)
ただ淡々と唱えるだけでなく、派手な振付を加えたり、殊更に声を張り上げて「有難い感じ」を演出する方もいますが、ほぼ無意味だと思います。
こういうパフォーマンスを臆面もなく出来る方もいらっしゃいますが、私はどうも恥ずかしくてできないというのもあります。
もちろん、それで何倍も効果が出るなら、仮面ライダーの変身みたいな動きをしながら
「きええええーーーいっ!」
と患者さんに気を爆注してもいいんですが、恥ずかしさが勝ります。
そんなことより、もう一つ重要なことを言っておかなければなりません。
呪文、口に出しても出さなくても同じだと言いました。
「ありがとう」も口に出しても出さなくても同じだと言いました。
だから無言でやっても効果があるよ、と。
これは悪い言葉は、相手に実際に浴びせかけなくても、心に思っただけで相手に届いてしまうということも意味します。
口に出さなくても相手を攻撃できるなんて素晴らしい、ともいえるのかもしれませんが、因果応報の法則により、いつか自分に戻ってくるわけで、なかなか恐ろしいことです。
表向き感じの良い人である、悪いことを言わない、というのも勿論大切ですが、昔から言われているように中身も大切です。
心の中は究極のプライベートゾーンてはあるのですが、やはり神様の前では心の中であってもプライベートゾーンはないようです。